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[解説]ミロのヴィーナス

ミロのヴィーナス
目次

概要

名称ミロのヴィーナス
制作時期紀元前130〜100年頃(ヘレニズム時代後期)
材質大理石
高さ約204cm(像のみ、台座を含めると約211cm)
作者不明
発見場所ギリシャのミロス島

発見と歴史的背景

ミロのヴィーナスは1820年、エーゲ海に浮かぶギリシャのミロス島で偶然発見されました。島の農夫が古代の劇場跡で農作業中に白い大理石の像を掘り当て、それが後にフランス外交官の目に留まりルーブル美術館に送られることとなりました。
ナポレオン戦争によって多くの美術品を失っていた当時のフランスにとって、この発見は非常に重要な意味を持ち、ミロのヴィーナスは国家の誇りとしてて国民に迎え入れられました。

ミロのヴィーナスは発見時にしでに両腕が欠損していました。その後の探索で腕の一部と見られる破片が見つかりましたが、ルーブルへの移送の混乱の中で紛失しました。

主題 : アフロディーテ(ヴィーナス)か、それとも──

ミロのヴィーナスが表している女神が誰なのか。これこそがこの像の主題です。伝統的には、古代ギリシャ神話に登場する愛と美の女神「アフロディーテ」とされてきました。これはローマ神話ではヴィーナスのことです。

しかし前述のように発見時から両腕が欠損しているため決定的な証拠に欠けておりその神格についてはさまざまな解釈が存在します。

アフロディーテ像としての根拠は、まずその姿勢と表情に見られます。軽く腰をひねった優雅な立ち姿、やや上を向いた穏やかな顔立ち、滑らかな肌の質感と布の自然な垂れ下がり。
これらは古代ギリシャ彫刻におけるアフロディーテ像の典型的特徴とされており、類似の作例も複数知られています。とりわけ、有名な「クニドスのアフロディーテ」(プラクシテレス)や「カピトリーノのヴィーナス」などの像と比較すると、その表現は確かに「美と女性性の理想像」としての系譜に連なっています。

また、ある復元案によれば、彼女の左腕にはリンゴを持っていたのではないかという説があります。これは、トロイア戦争の発端となる神話「パリスの審判」に由来します。最も美しい女神に贈られる黄金のリンゴ(エリスのリンゴ)をパリスがアフロディーテに与えたことで、女神は彼に報いる形でヘレネを与え、戦争の引き金となったというものです。この神話の象徴性から、リンゴを持つヴィーナス像という構図は古代から中世、ルネサンスにかけてもたびたび表現されています。

しかし一方、アフロディーテではないという説も存在します。

例えばこの像はアフロディーテではなく、海の女神アンピトリーテ(ポセイドンの妻)である可能性が指摘されてきました。というのも、像が発見されたミロス島では、アンピトリーテ信仰が強かったとされ、地元の宗教文脈を反映している可能性があるのです。

さらに少数意見ですが、この像が勝利の女神ニケや、あるいは戦の神アレースに関連する神像だった可能性も唱えられてきました。これは、腕の欠損やポーズの角度などから、何かを差し出す動作であったと解釈する学者によるものですが、根拠に乏しく広くは支持されていません。

ニケについてはサモトラケのニケで解説しているのでよければご覧ください。

このように、像の本来の主題にはいくつかの候補があるものの、「アフロディーテ像である」という説が、最も芸術的・様式的に整合性が高いとされ、現在ではルーヴル美術館も「Venus de Milo(ヴィーナス・デ・ミロ)」として展示・説明しています。

個人的にもアフロディーテだと考えています。

またこれは他の作品にも言えることですが、一部が欠損していたりすることで作品に余白が残り、そこに対してさまざまな解釈ができることがとても面白い部分だと思っています。

芸術的特徴と表現

ではもう少しこの作品の表現について見ていきましょう。

「ミロのヴィーナス」が制作されたのは、紀元前130〜100年頃。これはヘレニズム時代の後期にあたり、アレクサンダー大王の東方遠征以降に拡大したギリシャ文化が、多様な地域や民族と交わりながら発展した時代です。この時期の彫刻には、古典期には見られなかった動的構図、感情表現の深化、そして鑑賞者との空間的対話性が特徴として現れています。

一方で、「ミロのヴィーナス」には、こうしたヘレニズム的傾向と、より古典的な美学が同居していることが注目されます。たとえば、像の正面性や調和的プロポーションには、紀元前5世紀頃の古典期のアテナイ彫刻(とくにフィディアスやプラクシテレス)に通じる理想美が見られます。これは、混沌とする政治状況の中で、古典期の秩序ある美を再評価する傾向(いわゆる「古典回帰」)が、当時の芸術家たちの間にあったことの反映と考えられています。

また、ポーズに注目すると、この像はいわゆるコントラポストの原理に基づいて構成されています。コントラポストとは、片脚に重心をかけることで体軸を自然にねじらせ、静と動の調和を演出する技法で、古典期のポリュクレイトス以降に確立された彫刻構成です。ミロのヴィーナスでは、体の右側に体重をかけ、左脚は軽く屈し、上半身は逆方向にねじられています。

衣服の処理にも、時代の様式が表れています。像は上半身が裸で、下半身にはヒマティオン(古代ギリシャの外衣)が巻かれています。この布の表現は、単なる写実を超えた「湿式衣文(wet drapery)」技法によって、布が水に濡れて肌に貼りついたような効果を出し、裸体と衣服の対比を際立たせています。この技法自体はすでに古典期に登場していますが、ヘレニズム時代にはより装飾的で動きのある処理が施されるようになっており、本像でも布がずれ落ちるような動的な余韻が加えられている点が特徴です。

さらに、この像は神像でありながら完全な正面性を持たない点に、ヘレニズム期の空間意識が現れています。観る者は像の周囲を回り込みながら、異なる角度から女神の姿を堪能することができ、そこには動きと時間性を内包する構成原理があると言えるでしょう。古典期の神像がしばしば前方のみを意識して設計されていたのに対し、ヘレニズム期の作品は立体としての存在感、360度の鑑賞性を志向していたことが、この像からも読み取れます。

最後に忘れてはならないのは、表情の扱いです。ミロのヴィーナスの顔立ちは端正ながら、口元はほんのわずかに緩み、目元には穏やかな陰影が宿ります。これはいわゆる「アルカイックスマイル」の名残でもあり、古典期の静謐な表現様式を踏襲するものですが、過剰な感情表現を抑制し、神性を保ちつつも人間的な親しみやすさを持たせるという、ヘレニズム時代の理想像がそこに表現されています。

このように見ていくと、一つの作品から数多くの歴史的表現を読み取ることができます。またその視点で見ていくと他の作品を見た時に共通点を見つけることができ、初めてみた作品でもこれはこの時代に作られたものかもしれない、などと考えることができます。

作者と制作背景

ミロのヴィーナスの作者は明らかになっていませんが、発見当初に台座に刻まれていたとされる銘文から、「アレクサンドロス・オブ・アンティオキア」という名前が浮上しています。この彫刻家は紀元前2世紀頃に活動していた人物で、ヘレニズム期の後期に活躍したとされています。

この像が制作された時代は、ギリシャがローマに次第に飲み込まれていく時期であり、文化的にも新旧が混在する時代でした。ミロのヴィーナスは、古典期の理想美を追求しながらも、時代の流れに応じた写実的・感情的な表現を取り入れた、まさに移行期の象徴ともいえる作品といえます。

文化的意義とその後の影響

ミロのヴィーナスは、19世紀以降、「美の象徴」として美術教育や批評の中で繰り返し語られてきました。失われた腕がかえって神秘性を生み、見る者の想像力を刺激する。その不完全さの中に美の完成を見る、というパラドックスは、芸術の普遍的な問いとも重なっており、現代に至るまで多くの芸術家や思想家にインスピレーションを与え続けています。

とりわけルーヴル美術館では、サモトラケのニケやハンムラビ法典と並び、必見の三大展示として紹介されることが多いです。ヴィーナス像の前には常に人々の輪ができ、その姿は「永遠の美」の象徴として、今なお世界中の人々を魅了し続けています。

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